密室の缶コーヒー 2025年9月13日|短編 10732字

 私がマンションのエントランスに入ると、空調が火照った身体に染み渡る。

 私がマンションのエントランスに入ると、空調が火照った身体に染み渡る。まだ六月とは思えない暑さにうんざりしながらエレベ―タ―に乗り込み再び思考を巡らせた。私を置いて行くほどの用って何だろう。そんなモヤモヤを抱えながらドアが開くと通路に出る。

「……」

 私の視線は胸のうちに雲を作った張本人——凛を見つけた。私はその悪びれた様子もない涼しい顔を見る。

「おかえり、あかり。一緒にコ―ヒ―でも飲もうかと思ってね」

 そう言った彼女はスク―ルバックから缶コ―ヒ―を取り出して私の頬に少し押し付ける。カフェから家までの道のりで蓄えた熱を冷ますには嬉しくはあったが、今しがた一緒にカフェを楽しんだばかりじゃないの。少なくとも私はね。

 ――カシュ。

 彼女はプルタブを押し込み、缶に口をつけたあと私にコ―ヒ―を薦めてきた。

「飲む?」
「飲まない」

 即答。

「昨夜はあんなに”熱い夜”だったのに?」
「……ク―ラ―が必要なかったから”暑い夜”ではないでしょ」

 私は彼女の缶を押しのけて彼女の顔を睨む。澄月凛とはこういう女なのだ。私にとって彼女は大切な友達だ。だが、本来は澄んだ青の瞳は私の赤い髪を映し込み、妖艶な紫を宿していた。
 しかし、それは今に始まった話ではない。私は気にせずスマホをパネルにかざして家に入ると彼女は何食わぬ顔で私が閉めるドアに靴を挟んでくる。はぁ。

「昨日は勉強教えてくれてありがとう。でも今は帰って」
「あかり。私と君の仲じゃないか!」
「あなたの家は隣じゃないの! 私の家に来ることないでしょ!」

 昨日は勉強を教えてもらう交換条件として彼女を家に泊めた。しかし、彼女の家は隣なのだ。たった数メ―トルで彼女は自宅に帰れるのだ!!

「一緒にコ―ヒ―を飲もうって言ったじゃないか」
「!」

 私はドアの隙間から覗く彼女の視線の先を追った。缶コ―ヒ―だ! 確認すると缶は冷たく少し汗をかいている。そして、その下には、紙ナプキンが置かれていた。

『おかえり。私の愛するあかり』

 紙ナプキンにはそう書かれていた。
 バタンとドアが閉まる。振り向けば、彼女は当然のように私の脱ぎ散らかした靴と自分の靴を揃え、迷いなく部屋の明かりを点けた。その一連の所作に無駄はない。そして、私の方へ歩み寄りながら言葉を紡ぐ。

「改めて確認しよう。ゲ―ムは互いに好きな時に始めて構わない。ジャンルは問わない。ただし、私が君に仕掛けるのは一つだけ──ミステリだ。ル―ルは単純。私のトリックを暴けば君の勝ち。そして、勝者は敗者にどんな命令でも一つ下すことができる」

 彼女の細い指が私の顎に触れ、挑発的な眼光が怪しく光る。私は彼女の輝きに屈するものかと睨み返した。

「シャワ―に行ってくるといい。私も部屋から着替えを持ってこよう」
「……そのまま帰って」
「女子会が二泊三日になるのがそんなに嫌なのかい?」

 私は先日の敗北を思い出し咄嗟に目を逸らしてしまった。……悔しい。彼女は私の嫌がることは基本的にしないが、欲望に忠実で我儘なところがある。彼女は頼れる親友であるとともに脅威だ。
 彼女は愛おしそうに私から手を放し、去り際にこう言った。

「今夜も”熱い夜”になりそうだ」
「……」

 彼女の意見に賛同出来ないが、私の汗ばんだ体はシャワ―を欲しバスル―ムに向かった。今回の謎は”密室の缶コ―ヒ―”だ。彼女はどうやってあの缶コ―ヒ―を置いたのだろうか。見破れなければ、私はまた彼女と眠れぬ夜を過ごすことになる。ああ、思い出してしまった! 思わず私は顔を覆ってうずくまった。しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。
 シャワ―を浴び、髪を乾かし、適当なワイシャツを羽織って部屋を出る。そこには、制服姿のまま、着替えを手にした彼女が立っていた。

「なんでシャワ―を浴びてから来ないの」
「一緒に入ろうと思ったが、推理の邪魔をするのはまずいと思ってね」

 まずいのはそこじゃないだろ! 心の中で叫ぶ間に、彼女は私と入れ替わってバスル―ムへ入っていく。黒髪のセットには時間がかかる。私のショ―トボブとは違うのだから。

 推理を進めるには、まず現場確認だ。私はテ―ブルへ足を運ぶ。
 缶コ―ヒ―は、発見時と変わらず冷たく汗をかいていた。
 彼女が現場を荒らすことはありえない。ゲ―ムの趣旨に反するからだ。
 さて、どこから手をつけるべきか。と言ってもできることは限られている。まずは昨日からの経緯を思い返そう。

 昨夜、私は一泊を条件に、彼女から勉強を教えてもらう約束を取り付けていた。

「澄月はソファ―。私はベッド。夜這い禁止」
「……添い寝はOKってことだね?」

 凛は一人で頷いているが、当然ダメだ。私は彼女に天誅を下すとベットに潜り部屋の明かりを落とした。

「勉強を教えてくれたことに、感謝はしてる。けど、それだけだから。おやすみ」
「本当にあかりはつれないな。だが、そんな所も含めて愛おしい。おやすみ、あかり」

 凛がこちらにやってくる気配はない。大人しくソファ―で寝てくれるようだ。私はほっと胸を撫で下ろし、勉強の疲れもあってか気持ちよく入眠できた。
 翌朝、香ばしいパンの香りとカ―テンを開ける音が意識を揺さぶる。

「朝だよ。あかり。起きないと遅刻してしまうよ」
「!」

 視界がぼんやりから鮮明になり、整った凛の顔が目の前に迫る。
 反射的に、ベッドから転がり落ちた。思考が追いつかない。
 ……あ、あぁ! 昨晩、凛が部屋に泊まったんだった。
 思わず全身をチェックする。何も、されてない。よ、良かった。

「あかりは私を獣か何かと勘違いしているのかい?」

 その言葉に、思わず身を捩った。
 身の危険をひしひし感じると同時に、心臓が変に高鳴る。
 とにかく、凛は、心臓に悪い!

「獣じゃなかったとしても。視線が、やらしいの」
「好きな相手を”そういう目”で見ないのは、逆に失礼というものだろう」

 制服姿にエプロンを付けた凛は何の悪びれた様子もなくそう言い放った。私は凛のこういう正直なところは嫌いではない。だが、私が彼女に求めるのは友情だ。彼女が私に求めるものとは違う。と胸を抑えながらに思う。
 私は彼女を追い出すと制服に着替え、ダイニングに行くと彼女お手製の朝食が並んでいた。珍しく彼女は先に食べ終えていたようだ。私も朝食に手を付ける、その間彼女は楽しそうに私が朝食を食べるのを観察していた。

「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」

 悔しいことに彼女のご飯は私が作るより格段に美味しい。くっ、料理も彼女から教えてもらう? いや、料理ぐらいは独力で何とかしてみせる!

「ところで、時間。今日は君が好きな走り込みが出来そうだ」
「え? ――ちょっと! なんで、先にそれを言わないの!!」

 時計を見ると遅刻ギリギリだ。凛は私がのんびり朝食を食べているのを楽しむことを鑑賞することを優先し、遅刻を後回しにしたようだ。

「走れば間に合う問題ない。それに君を起こした時に言ったはずだよ?」
「そうだけど!!」

 私は慌てて髪をセットする。私が家を飛び出し、スマホで家のカギを締めようとしたときだ。

「壊れてる!!!」

 正常ならロック音とマ―カ―の点滅があるはずだ。――なのにない!
 タッチ機能の故障か? ともあれ、このモデルは遠隔操作もできる。あとで学校からロックしよう。

「エレベ―タ―が来たよ。あかり」
「わかった!!」

 仕方ない。貴重品は持っているし、盗まれて困るようなものも特にない。もし、故障なら管理会社に連絡して――いいや、ひとまず駅だ! 急がないと!!


私達は何とか遅刻を免れた。

 昼休み。いつものようにスマホを操作するが認証パスが弾かれる。二回目もダメだ。さすがに続けているとしばらくスマホが使えなくなるのは怖い。次は電源を入れ直してみたが、ダメ。……仕方ない、私は前の席に座る見慣れた漆黒に青を差した髪の少女に助けを求める。

「澄月さん、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「どうしたのかしら、渚さん」

 振り返る彼女、凛は学校で私以上に猫を被っている。スタイル抜群、成績優秀、絵に書いたような優等生。完璧超人そのものだ。

「スマホが動かないのだけれど、”何か”知らない? たしか、私と同じ機種でしたわよね」
「再起動してみては?」
「してみたのだけれど、動かないの」
「そうなの。貸してくださる?」

 私は数秒迷ったが昼休みの間、”スマホが使えない事”と”家のカギが閉まっていないこと”を考えてスマホを委ねることにした。
 彼女は席に向き直りスマホを操作しているようだ。席を立ち手元を覗き込むと、スマホの再起動していた。真っ暗になった画面に私と彼女の顔が映り込む。

「これでどう?」

  その後、再び現れたロック画面に認証パスを入れてみる。!! 解除出来た!!

「治った! ありがとう澄月さん」
「寿命か初期不良かもしれないわね」

 彼女が”何か”したわけではないの? ひとまず私は遠隔で家のカギを締め、昼食を求め購買に急いだ。
 支払いを済ませ教室に戻ると、凛は黙々と本を読んでいた。
 その横顔に一瞬ドキリとさせられる。普段、家に上がり込んでくる彼女とは違う一面。
 あかりあかりとうるさいし、しつこいほどにベタベタしてくる。
 彼女を否定できない自分に驚きはない。二人きりの彼女は楽しそうで、咎めるのも心苦しい。……認めていないけど、私は彼女にとって恋人らしい。頼れるようで頼れない、少し危ない友人。それが彼女だ。
 そんなことを考えているうちに昼食は終わり、気づけば昼休みも過ぎ、放課後を迎えていた。

「渚さん、部活が終わったらお茶でもいかがかしら? 予約とってあるの」

 私は部活の準備する手を一瞬止め、思考を巡らせる。
 お茶に行くということは二人っきりになってしまう。入学してからこの二ヶ月、彼女という存在に振り回され続けている身としては警戒せざるを得ない。
 これは新手の罠か。
 ”何か”あるのか。
 そして、彼女は操作していたスマホをこちらに向けてきた。……くっ!!

「い、行きましょうか。澄月さん」

 画面に写っているのは巷で噂の有名店! これは罠でも飛び込むしかない。
 私は弱い。弱すぎる!!
 そんな私を見て、彼女はニコリと微笑んだ。なによ。悪い?

「それでは、十七時半に校門で待ち合わせましょうか」

 そう言って彼女は教室を後にする。
 私は彼女への警鐘を鳴らしながら、部活の準備を終え彼女に続いた。

「私のほうが先か」

 ラインを開き、「先に着いた」とだけ送る。まあ、これで十分でしょ。
 凛は生徒会だが、終わる時間は部活と同じ。すぐ来るだろう。
 既読。相変わらず早い。
 私は木陰に避難したが、そうはいかない。梅雨の湿った空気が肺の中を満たしていく。
 カフェ、カフェに行きたい!!
 体感三十分、実際は五分。ようやく彼女が姿を見せた。

「おまたせ。あかり」
「澄月、今日はあなたの奢りなんでしょうね?」
「もちろんさ。何でも好きなものを頼むといい」

 彼女の企みに警戒しながら差し出された手を見て、顔色を覗き込む。飄々とした彼女から張り付いた笑みを引き剥がすのは困難だ。

「おや、楽しく手を繋いでカフェに向かおうと思ったのだが」
「それは友人として?」
「”今は”友人として」

 実にひっかかる物言いだ。しかし、そう言われれば私は彼女の手を跳ね除けるわけにもいかない。彼女の手を取り駅へ向かう。ふと、彼女の顔を見ると、学校では絶対見られないようなほど嬉しそうな顔をしていた。
 その顔はズルい。手を握ったぐらいでそんなに喜ばないでよ。
 静かな住宅街の中にある喫茶店に着いた。道中、どうしても彼女と目が合わせられなかった。車の中で触れ合った肩の温かさや、昨晩うちに泊まったせいで同じシャンプ―の香りがしたことだけは、はっきり覚えている。

 私達がカフェの中に入るとコ―ヒ―の香りが出迎えてくれた。そして、ああ、撮影禁止って、なるほどね。外観は住宅街にあわせたカフェ、店内はドア一枚を隔てて別の世界に来たようにさえ感じる。もし、この空間を切り取って持ち帰ろうとする人が増えれば、この温かさに包まれた場所もやがて冷え切ってしまうだろう。
 温かみのあるフロ―リングにモルタルの壁にはいくつかの絵画。ここの店主の趣味を疑うものは居ないだろう。天井には空調のためのでっかい扇風機……なんだっけ、名前が出てこない。
 彼女が受け付けを済ませるとカフェの一角に案内された。メニュ―を見るが、何かよくわからない。あと値段が書いてない。

「澄月、このメニュ―わかる?」
「もちろん、コ―ヒ―の産地さ」

 あ、この感じ。私は静かに手を上げて、店員にアイサインを送った。店員はすぐにこちらに来てくれた。

「今日のオススメをください」

 私に続いて彼女も注文をする。ただ、すねたように。

「……キリマンジャロをお願いします」
「かしこまりました。ご注文は以上でよろしかったですか」
「はい」

 私は頷きメニュ―に目を落とす。この横文字はキリマンジャロって読むのか。たしかにコ―ヒ―の名前か何かで聞いたことがある。キリマンジャロを頼んだ彼女はというと、ふくれっ面だった。
 昼間に彼女が読書してたのを思い出して、ちょっとした意地悪をしてやろうと思った。テ―ブルに頬杖をついて、彼女の顔をじっと眺める。

「今日読んでたのはコ―ヒ―の本だったの?」
「そうさ」
「私にコ―ヒ―知識でドヤァするために?」

 ツ―ンとした顔で彼女はそっぽを向いてしまう。彼女は見かけこそスタイル抜群だが、私と同じ高校一年生。出会って二ヶ月だが。

「凛、可愛すぎでしょ」

 思わず凛呼びしてしまったが、彼女はこちらを見ると大きく目を見開いて耳まで真赤にした。よほど照れているんだろう
 その顔、もっと私に見せてよ――そんな声が胸の内から私の中から聞こえた、気がする。彼女を独り占めにしたい。自分のものにしたい。そんな欲求が脳裏をかすめる。いやいや、私は一体何を考えてるの!
 ちょうどそのとき、コロンビアとキリマンジャロが運ばれてきた。ナイス、店員。正気に戻してくれた彼に、心のなかで小さく感謝してコ―ヒ―に目を落とした。

「頂きます」

 コ―ヒ―を一口。運ばれた時の香りで期待していたけれど、やっぱり美味しい。インスタントとは違う、苦みもコクも「ちゃんとコ―ヒ―」って感じだ。

「おいしい」
「よかった」

 彼女はさっきから落ち着きがない。静かになったかと思えば、チラチラと私を見てコ―ヒ―を飲み、頼んでもいないのにメニュ―を開いてみたり。どうにも挙動不審だ。

「大丈夫?」
「……お手洗い行ってくる」
「一緒に行こうか?」
「だ、大丈夫。だから」

 本当に大丈夫だろうか。足取りが不安だ。私は彼女の背を見送りながらコ―ヒ―を飲み、数分すると彼女が戻ってきた。

「すまない。心配させたね」
「別に。それにしてもコ―ヒ―冷えちゃったわよ」
「構わないさ」

 トイレから戻った彼女はいつもの彼女に戻っていた。よかった。

「ここにはケ―キもある。紅茶も好評だと聞くよ」
「そうなの? 先に言ってよ。コ―ヒ―飲み終わったじゃないの」
「追加で頼めばいい。私の奢りだ。逆に聞くが、一杯で済ませる気だったのかい?」
「まったく」

 それを聞くと彼女は笑顔を見せた。それに釣られて私も笑ってしまった。まぁ、本当にそのつもりだったのだから隠しようもないし、隠す気もない。私は店員を呼ぶと好きなだけ店員のオススメというもの注文した。

「私もお手洗い行ってくるわ」
「あかり。今、君のスマホからラインの音が聞こえたと思ったが?」
「え?」

 私は彼女に呼び止められ、スマホを確認する。

『お手洗いもなかなかにオシャレだった』

 発信者は凛だ。

「なんでわざわざライン」
「しっかりマナ―モ―ドになっているかのチェックだよ」

 私はニコニコする彼女を無視して、荷物置きにあるスク―ルバックにスマホを戻すとお手洗いに向かった。

「あっぶなぁああああああ。マナ―モ―ドになっててよかったあああ!!!」

 正直マナ―モ―ドになっていたのは校則でマナ―モ―ドにすることが定められているだけ。もし、これが休日の待ち合わせなどの延長でカフェに入ったのであれば間違いなくマナ―モ―ドではなかったはずだ。
 そして、お手洗いは彼女の言う通り確かにオシャレ。というよりも落ち着く空間が延長されていた。清潔感は言うまでもない。完璧だ。私はお手洗いで用事を済ませ一呼吸を置きテ―ブルに戻ると、彼女が居なかった。

「あれ?」

 テ―ブルには紙ナプキンにメモがあった。
『急用が出来たから先に帰る。すまない。スク―ルバックは店員に預けてある。会計済みだ』
 そのメモを見た瞬間、ついさっきまであったカフェの空間がとても無味無臭のものに感じられた。

「何よ。勝手に誘って、勝手に帰るとか」

 私は運ばれてきたケ―キをすべて持ち帰りにした。ここに居ることに意味はない。自然とそう思えた。ラインに既読は付かない。何なの。

***

 ――そんな苛立ちを抱えたまま、私は現在に至る。

私は昨日から今に至るまでを振り返り、わかったことがある。正攻法で凛は倒せない。今回のトリックを見破るのは私には無理だ。皆目検討も付かない。だが、彼女を倒す方法は思いついた。
 バスルームから制服からピッタリとしたカットソーの白いトップスにカーゴパンツをあわせたモノトーンコーデになっていた。トップスからは引き締まったウェストが露出させる扇状的な装いの彼女は腰に手を当て、私に言い放つ。

「さて、答えはわかったかな?」
「わからない」
「ふふっ、では。今回のゲームは私の勝ちということだね」
「澄月が私に何でも命じる前に、私からゲームを申し出て良い?」

 彼女は考える様子を見せながら、私の正面の席についた。

「ああ、構わない。どんなゲームでも受けて立とう」
「澄月凛! 私が、澄月が今回のトリックを用意するために失ったものを証明する。証明の正当性の判断は、このゲームを受ける澄月に一任する。つまり、澄月が私の主張に正当性がないと判断すれば私の負け、逆に認めれば私の勝ち」
「それでは君のほうが圧倒的に不利ではないか?」

 私はこのゲームに絶対勝てる自信がある。答えは決まっている。

「受けるの? 受けないの?」
「いいだろう。受けよう」

 私はバッっと席を立ちあがり、彼女に指を刺し叫ぶ。

「カフェに誘っておいて、急用を理由に置いていくって何?! 凛は私の恋人になりたいんだよね?! それ以前に『友人』として私の手を握ったんでしょ! 友人としても急用をメモ一つ残して放置は酷いよ!! 私のことが大切なんじゃないの!! 何なの!! 私は凛と一緒にお茶出来て楽しかったのに!! あんまりだよ!!」

 私はぐちゃぐちゃになった感情を吐き出す。もはや証明ではない私のありのままの声だ。

「澄月凛! あなたは私との楽しい時間を失ったんだ!!」

 彼女は私に駆け寄り、抱きついてくると子どものように泣きじゃくった。

「あかり!! ごめん、ごめんなさい。私、私っ!!!」
「……このゲームは、私の勝ち?」
「あかりの勝ちに決まってる!! 私が間違ってた!! ごめん、ごめん、あかり!!」

 私は彼女の身を起こして、隣の席に座らせた。私も彼女も、まだ感情の波は収まっていない。ただ、彼女に悪気がないことは普段の彼女を見ていてよくわかっている。私も少しずつ、彼女に当たってしまった事を後悔しているところだ。

「凛、私の方こそ。ごめん、なさい。本当に今日は楽しかったから」

 そう言って、持ち帰ってきたケーキの箱と凛が買ってくれた缶コーヒーを並べた。彼女はケーキの箱を不思議そうに見ていた。

「あのカフェで私が買った。いや、凛に奢ってもらったケーキを全部持ち帰って来たんだよ。一緒に食べよう」
「うん、うん!」

 結局、彼女は二泊三日することになった。ケーキが晩ごはんになるほどあったからだ。それに今日は彼女とゆっくり話をしたほうが良い。そう思えてならなかった。

***

「今日のゲームで一勝一敗なわけだけど、先に私から良い?」

 そう、ゲーム勝利の権利だ。私は凛に、凛は私に何でも好きなことを一つ要求できる。

「何がお望みかな?」
「結局、今回のトリックって何?」
「え?」
「だって、気になるし」

 彼女は拍子抜けと言った様子だったが、ケーキを食べながら答え合わせを始めた。

「あかりが家を出る時、持っていたスマホは私のスマホ。だから、家のカギは閉まらなかったというわけだ」

 口を挟もうかと思ったがやめた。彼女のことだ。説明してくれる。

「なぜ、あかりは私のスマホを自分のスマホだと勘違いしたのか。それは私があかりの寝ている間に私とあかりのスマホケースを入れ替えたからだ」

 私と彼女のスマホは同じ機種だ。スマホのケースは一致する。それに寝ている時にすり替えられれば気づかない。その上、今朝は遅刻ギリギリで。

「もしかして、遅刻ギリギリだったのは」
「お察しの通り。わざとだ。スマホを入れ替えたのを気づかれないようにするためにね。とにかく学校につけば昼休みまでスマホは触れないから、それまでが大変だった。例えば、電車内でスマホに注意がいかないように話し続けたりとかね」

 全然気にならなかった。いつもより電車で話すのが多い程度なのと遅刻ギリギリで頭がいっぱいだった。

「昼休みになって、あかりが私に相談してくるのを待った。そのあとは元に戻した」
「私が見た時は電源を落としただけだったよね?」
「あらかじめ、私が持っていたあかりのスマホケースを外しておいて、あかりからスマホを受け取ったと同時に本来のあかりのスマホとケースだけ元に戻したんだ。電源を落とす動作は動作不良の偽装だよ」

 たしかに。私に手渡すスマホだけなら私が彼女の手元を確認するまでの間、机の中に取り替えたいスマホケースを忍ばせておけば十分に実行可能だ。

「あかりの家も私の家もスマートロックを採用している。遠隔操作でカギを締めれる。あかりはこの時、ほぼ間違いなく家のカギを締めたはずだ。これで密室が完成する」

 その推察は正しい。私は間違いなく購買に行く前にスマホで家を施錠した。

「その後、カフェに行った。そしてあかりの部屋を解錠したんだ」
「どうやって」
「ラインだよ」
「ライン?」

 ラインにスマートロックを解除する機能など聞いたこともない。

「私はあかりが席を立つのを待った。そして、席を立つのと同時にラインを送った。あかりは当然スマホ認証してラインを確認する。その後、スマホは一時的に認証解除になっている。その間に、私はスマホを操作してあかりの家のカギを開けたんだ。そのあとは分かるだろう」

 彼女は紙ナプキンを一枚持ち、道中で缶コーヒーを購入。私より先に帰宅。私の部屋に紙ナプキンと缶コーヒーを置く。……ん?

「待って、家のスマートロックは壊れてなくて正常だった。カフェで解錠して、私がスマホをかざした時、家のカギは開いた。澄月が言う手順だとドアは施錠と解錠しないといけないよね?」
「電車の中でスマホは操作しなかったのか?」
「澄月のことで頭がいっぱいだったから何も考えてなかった。かな」
「……」

 なぜ、彼女は顔を赤くしているのだろうか。彼女は視線を泳がせ、缶を捕まえると何かを押し込むようにコーヒーを飲み干した。カンという音が机を通して二人っきりの部屋に響く。

「君がカフェを出た時、持っていたのは私のスマホだ。やり方は朝と同じ。ケースの入れ替えだ」

 なるほど。私がお手洗いに行っている間に解錠するだけでなく、スマホのケースを入れ替え、スマホごと持ち去ったのか。それで紙ナプキンと缶コーヒーを置いた後、施錠する。

「私が通路で待っていたのは、君が解錠するタイミングで家を解錠するため。ただ少しでも怪しまれないようにするため缶コーヒーを使った。そうすれば、スクールバックに入れたスマホの画面を確認するのはより自然だろう」

 そこまで話を聞き終え、私は自分のスクールバックからスマホを取り出し認証を行う。問題なく解除できた。これは間違いなく私のスマホだ。彼女は私の顔色を見てから最後の疑問に答えた。

「シャワーだ。君がシャワーに入っている間にスマホケースを替えれば良い。これが今回のトリックの全容だ」
「なるほどね~。スッキリしたわ。それで、澄月の要求は?」

 凛はまた言葉に詰まりながら珍しく俯きながら要求を口にした。

「じ、実は、二つある。待て! そんな目で見ないでくれ、あくまで二つ叶えば嬉しいというだけで一つだけでも十分だ」

 どんな目だろうか。ただ、呆れた。

「それで、言うだけ言ってみたら? 言うだけタダだし」
「ああ……一つ目は呼び方だ」
「呼び方?」

 突拍子もない要求に次は私が戸惑う番だった。

「カフェで呼んでくれただろう。凛、と」

 ああ、普段の意識づけている事が抜けて、つい呼んでしまった。私個人として凛には友達ラインを強く意識付けるため苗字呼びを徹底していた。ただ、それを解消して欲しいらしい。

「保留。次」
「ええっ?!」
「二つあるんでしょ?」

 回答を急ぐ必要はない。叶える要求は一つで良い。二つ目を聞いて判断しても悪くない。

「わ」
「わ?」
「わ、私、以外に可愛いって言わないで。欲しい」
「???」

 今日の凛は様子がおかしい。いつもの要求とは毛色がまったく違う。

「理由を聞いても良い?」
「今日、カフェで名前を呼んでくれて、可愛いって言ってもらえた時、凄く嬉しいのと同時に、私以外に、あかりの言葉と笑顔を盗られたくないって、想ったから」

 途切れ途切れに言葉を発する彼女は普段絶対見せない一面だ。彼女は今の装いからも分かるように可愛いよりカッコいいが似合う女性だ。だが、今はどうだろう。

「可愛い」
「?!」

 私は思わず口に出た言葉を遮るように口を抑えたが、当然間に合わない。瞬間、横に居た彼女の肩が跳ねるのがよくわかった。顔を見れば、カフェの時よりいっそう愛らしい彼女が居た。
 目を逸らさないとまずいとおもい、逃げ先に選んだコーヒーが異様に甘い。

「ど、どっちも。ダメ」
「ええっ?!」

 心臓がバクバクする。コーヒーを飲みすぎたせいだろうか。チラリと彼女の顔を見ると、それがダメだった。私の思い描いた青春ラブストーリーはどこに行ったのだろうか。
 気づけば、唇に感じたことのない熱と柔らかさ。
 少し離れれば、驚きのあまりに固まった彼女。

「どっちの要求も、要求に含まれない。凛は可愛いし、凛しか可愛いとは思わない。から。あと、普段の凛より、今の凛のほうが、好き。かな。ああ、あと……」

 どんどん言い訳だけが増えていく。全部、今まで彼女に散々ダメだと言ってきた事ばかりが口から出てくる。
 そんなお喋りな口を彼女は強引に塞ぐ、もちろんそれを私に拒むことは出来なかった。

「次のゲームにも付き合ってください。あかり」
「わかったよ。凛」

 そして、私のゲームが始まった。いや、私達のゲームが。

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